高岡コロッケ物語

高岡コロッケ物語(35)

第3部・あつあつ談義(5)
翻訳家、リチャード・カーティス氏
海外との架け橋に

 日本に来て初めてコロッケを食べたのは、金沢市内の居酒屋でした。二十年前、友人に勧められたのですが、どんな食べ物かも分からずに注文しました。「揚げたマッシュポテト」という印象でしたが、おいしかったのを覚えています。
 仕事で日本のさまざまな場所に行きましたが、北海道の礼文島で町を挙げて特産のウニをPRしているのが印象的でした。高岡コロッケ実行委員会がコロッケを新しい名物にするための活動も、地域を挙げた盛り上がりになるとおもしろいですね。

リチャード・カーティス氏

リチャード・カーティス氏 米国カリフォルニア州ナパバレー出身。1986年に来日。金沢市で16年間生活した後、2002年から高岡市に移り住む。現在は翻訳業や語学講師を務める。44歳。

●おつまみ感覚で
 ただ、JR高岡駅前を歩いていても、コロッケの店はあまり見当たりません。例えば、ステーキの付け合わせにコロッケを使ってみたり、お酒が飲める店でおつまみ感覚で食べられるコロッケを出す店が出てくれば、もっと広まるのではないでしょうか。コロッケは熱々のものがおいしいのでしょうが、冷めても大丈夫な商品を考案してみるのもいいかもしれません。
 金沢に住んでいた時、消防団活動に興味を持って分団に入れてもらいました。外国人であることの「壁」は感じましたが、徐々に仲間として扱ってくれるようになりました。二〇〇〇年には故郷のカリフォルニア州で、伝統の加賀鳶(とび)のはしご登りを披露することができました。加賀鳶が金沢と米国をつなぐ架け橋になってくれたような気がします。

●独自文化根付く
 高岡市に移り住んでいて思ったのは、このまちは「セカンドシティー(第二の都市)」ではないということです。確かに人口規模では県内二番目です。しかし、私は「越中と加賀の境にあるまち」と考えています。どちらからも影響を受けているけれど、独自の文化が根付いているのを感じます。祭りでも地域ごとに個性ある獅子舞が見られます。市外から来る人が高岡に興味を持ち、好きになるきっかけづくりが大切でしょう。
 その点でコロッケはおもしろい存在です。気軽に食べられて心にも残る料理です。コロッケが高岡の名物として全国に認められれば、海外からも高岡に来てくれるようになるかもしれません。コロッケを囲んで交流が広がっていくのが楽しみです。

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