高岡コロッケ物語

高岡コロッケ物語(21)

第2部・夢は揚げたて
地産地消(上) ひらめきで、すり身に着目

 見たところ何の変哲もないコロッケだが、一口ほおばると、魚肉の味が口中に広がる。高岡市木町の仕出し・貸席「やまもと」の「すり身コロッケ」は、界隈(かいわい)では知る人ぞ知る名物コロッケだ。
 考案したのは、先代の山本二作さん(91)である。山本さんは会社員を経て二十代半ばから鮮魚店と仕出し料理店を始めた。
 昭和二十年代後半、仕出し料理の需要が高まる一方で、その献立の一つであるコロッケに使うジャガイモは、戦後の物不足から依然、手に入りにくい状態が続いていた。そこでひらめいたのが、ジャガイモの代わりにすり身を使うアイデアだった。
 山本さんは当時、小矢部川の堤防沿いを歩いて新湊まで魚介類を仕入れに行っており、すり身に使うタラやアジは豊富にあった。「全然、ものがない時代だった。それでも高岡らしい新たな目玉を打ち出したかった」と山本さんは振り返る。

「すり身コロッケ」を揚げる従業員。ジャガイモの代わりに魚肉のすり身が入っている=高岡市木町の「やまもと」

●不動の人気
 当時は、獲れたての鮮魚が並ぶ店先のすぐ隣でコロッケを揚げていたという。富山湾の海の幸を上手に使った一品は、たちまち地元の評判となった。揚げたてのにおいが周囲に広がると、近所の人たちが行列を作り、おやつ代わりにほおばる子どもたちの姿も見られた。
 仕出し料理の中に入れるメニューとしても不動の人気を誇り、今も地元限定の名物となっている。
 作り方は普通のコロッケとあまり変わらない。すり身にタマネギやゴボウ、レンコンなどを混ぜ合わせた具が特徴である。醤油(しょうゆ)をかけても、ケチャップを付けても合う、コロッケとしては珍しい味わいだ。

「すり身コロッケ」を考案した当時を振り返る山本二作さん(左)と妻のとみ子さん

●受け継がれる味
 十年ほど前にすり身コロッケの製造を一時中断したことがある。店舗の改装で店先からコロッケを揚げる器械を撤去したのがきっかけだったが、ほどなく地元の人たちから「あんたんとこのコロッケ、もうないが」「うちでは、あんなにおいしいやつ揚げれんわ」といった声が寄せられ、再開した。
 山本さんの跡を継いだ長男の邦夫さん(57)は「小さいころから父親のコロッケを食べてきたが、これほどおいしいものは、そうざらにない」と話す。幼稚園のころは朝ご飯のおかずの定番で、舌が覚えたそのころの味が今も邦夫さんの手で受け継がれている。
 地産地消は、その土地でとれるものを使おうという考え方が基本となっている。野菜であるジャガイモの代わりに、地元で豊富に獲れるタラやアジを使ったすり身コロッケは、まさに地産地消の究極の姿と言うべきなのかもしれない。

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