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愉快な日々、嵐山光三郎 高岡コロッケ 小さな宇宙をつくってる

揚げたてコロッケはホクホクのおいしさ。1個50円でパワーがみなぎる=高岡市あわら町の丸長精肉店

 高岡名物のコロッケを食べに行ったのは十年前のことだった。高岡市あわら町にあるマルチョウ(丸長精肉店)は、息子の伸佳さん(51)の代になって、学校の部活を終えた生徒が買いにくる。

 昭和四十二年の開業時はコロッケは一個七円だった。当時は近くの志貴野(しきの)中学校に給食がなかったから、校内で昼食用のコロッケを売った。十年前は一個四十円だったが、消費税が八%にあがったとき、五十円にした。マルチョウのコロッケの味を忘れられず、卒業生で六十歳になった人がなつかしがって買いにくる。

 北海道産の男爵イモを直径一メートルの鉄釜で一気にゆでる。薪(まき)で焚(た)く。味つけは塩と砂糖だけでシンプル。カウンターの奥の調理場で光子かあちゃん(81)がジャーンと手早く揚げていたのを食べたときは、ほくほくしてパワーがみなぎりましたもんね。

●夕焼け浴びながら

 お肉屋さんが目の前で揚げるコロッケがぼくらの一番のごちそうだった。いまはスーパーで売ってるのは冷凍食品か、冷えてるコロッケばかり。あげたてのコロッケを紙袋に入れて家まで持ち帰って、熱いうちに食べる。待ちきれずに、夕焼けを浴びながら立ち食いするのが、これまたたまらない。マルチョウの邦夫オヤジ(85)は、いまも仕込みを手伝っている。

 大坪町のミートくるまのオーナー、車捷(くるましょう)二郎(じろう)(フーテンの寅さんとは別人)さんはぼくと同じ七十七歳。十八歳のときから十八年間精肉店で働き、三十六歳で自分の店を持った。十年前のまごころコロッケ(二十八円)は、いまは三十三円に値上げした。ジャガイモが不作となり、原材料が値上げしたのがきっかけ。

 この店も、お客さんの顔を見てから揚げている。商売というより社会奉仕の信念ですね。油はフレッシュなものを使っている。「四十円もって買いにくる子がいるんですよ」。その様子は自分の少年時代を思い出す、という。

 高岡といえば鋳物の町で大手町の大仏で知られる。半眼微笑の表情に慈愛の光が宿り、円光背がまぶしい。

 加賀藩二代藩主であった前田利長が、砺波郡の西(にし)部金屋(ぶかなや)から鋳物師を呼び寄せた慶長年間にはじまり四百年余の歴史がある。神社仏閣につるす鰐口(わにぐち)、鐘、仏具などのカチーンと固い物を作る町が、コロッケというやわらかいもので町おこしをする発想が愉快である。

●主婦が覚えた洋食

 コロッケはさしずめ「春の曙(あけぼの)」といった食感で、舌がふんわりとしてくる。もとはフランス語のクロケットのなまりで、ジャガイモのクロケットが「日本の洋食」として定着した。終戦後、日本の主婦が覚えたての洋食として作りおきして「今日もコロッケ、明日もコロッケ」という歌が流行した。高岡という町は、住んでいる人の心が温かい。

 高岡コロッケは、中学生のココロザシと、高校生たちの恋と、ポカポカした心の大人たちが合体して、コロッケという小さな宇宙をつくっている。

★あらしやま・こうざぶろう 作家、泉鏡花文学賞選考委員。

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