エピソード

名前の由来

歴史 庶民の味を守り1世紀

1月の「日本海高岡なべ祭り」に高岡コロッケが登場。
高の宮通りは大勢の人でにぎわった。

 コロッケは、正式な西洋料理として明治時代に日本に入ってきました。高岡で1900(明治三十三)年に御馬町の「風玉堂」というパン屋の二階に初めて西洋料理店が開業したという新聞記事が残っています。ここで出されたコロッケが、高岡のコロッケの始まりと考えられます。
 風玉堂の西洋料理店はその後、今の片原横丁に移転し、「宝亭」という本格的なレストランになります。明治時代の終わりから大正時代のはじめごろと思われますが、このころのコロッケはまだ、ナイフとフォークで食べる正式な西洋料理でした。

家庭でコロッケを食べるようになったのは、戦後になってからです。高岡の中心部には当時、六軒の精肉店が先陣を切ってコロッケを売り出しました。
 戦後の物不足で十分な肉が手に入らなかったためとされますが、その後もコロッケは庶民の味として家庭の食卓に広がり、学校給食の定番としても人気を集めました。
 高岡はものづくりの町として発展しました。高度成長期には共働きの家庭が増え、コロッケは手軽で安価な惣菜として重宝がられました。高岡らしい食文化と言われる理由の一つです。

「日本海高岡なべ祭り」でコロッケを買い求める人たち

実行委員会 人気もぐーん 横丁に列

 コロッケによる町おこしの出発点となったのは、高岡市の若手職員の有志が運営するホームページ「カラーたかおか」です。二〇〇四(平成十六)年に解説され、消費量が全国有数とされるコロッケで高岡のイメージアップを図ろうと、ホームページ上で全国発信を始めました。
 これに呼応して、ホテルニューオータニ高岡が新作コロッケを作るなどして次第に盛り上がりを見せ、昨年六月に高岡市、高岡商工会議所、富山新聞社などが集まって高岡コロッケ実行委員会が発足しました。
 加盟店は発足当初の二十七店から四十店に増えています。一月十三、十四日の「日本海高岡なべ祭り」に出店した「コロッケ横丁」は押すな押すなの人波で埋まり、中心商店街に久し振りのにぎわいをもたらしました。
 マスコミなどで取り上げられる機会が増えるとともに、「高岡コロッケ」の認知度も上がっています。イベントに出店することも多くなり、町おこしの成果も出てきました。「コロッケ」と言えば「高岡」と言われる日はすぐそこまで来ているようです。

2月の「フードピア金沢2007」で販売した高岡大仏コロッケ

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